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2016年9月20日 (火)

小曽根真氏との出会い

自分のサイトだが、小曽根さんに迷惑がかかる表現は避けたい
と思う気持ちが前提にある。そんな前置きをして、、、

‘99年だと思う。
FMラジオのj-waveの朝の看板番組DJジョンカビラさんの
休暇中のピンチヒッターが小曽根さんだった事がある。
朝7時にピアノを弾いてるのである。「これがメジャー、
これがマイナー」ってね。
眠気が吹っ飛んだ。「誰?この人・・・」。
その時私は、小曽根さんを知らなかったのである。
実に基本的な事をやっていたのだが、勉強になるな~~~と
楽しい企画だったのだ。
で、起きて早速faxしたのだ。「あなたは誰ですか?
名前を放送で言ってください。」と。
それで「小曽根真が送る、tokyo today!」ってね、
そこで小曽根さんを知ったのである。
後になって聞いたのだが、あのピアノを弾こうって企画の提案は、
妻である女優・神野三鈴さんだったらしい。

それから小曽根さんに興味を持ったのである。
アルバムを買い、その頃からHPに遊びに行き始めたのは・・・・。
その年の年末に、伊藤君子さんとのDuoコンサートへ行って
洗礼を受けたのだ。そこから歴史は始まる。
今では、書き込み常連・ウォッチャーを含めると数百人に上る
小曽根さんのbbsなので、随分言葉を選んでしまう
(これでも。(笑))のだが、あの当時
「なんて素敵なピアノなんでしょう。ああ、抱かれたい。」
なんて平気で書いていたものだ。がっはっは。
今となっては当時を知る仲間の「言い伝え」になってしまっている。
ぷぷぷ

その当時、私はそんなに歌うチャンスに恵まれていなかった。
ホテルで時期的なspot的な仕事をやる程度だった。
そのbbsで小曽根さんや小曽根さんのファンの方から
色んなアドバイスをもらっていた。
2000年の暮れから定期的に仕事が入る様になり、
動きが出てきた。
2001年には神戸まで小曽根さんを聴きに行ったりと
「オッカケ」をしたりもした。
そんな中、私は小曽根さんとプライベートな領域で
コミュニケーションを持つ事が出来た。
それは私からお願いした事だった。小曽根さんは快く受けてくれた。

200109bluenote

200109bluenote2


そして2002年春、妻・三鈴さんの好意によりコンサートの
サウンドチェックにお邪魔させてもらったのだ。
その時の事を書いてよいのか、躊躇する部分もあるが、、、
鍵盤一つ一つの音に対してサウンドチェックをしているのである。
「これはこんな音にして欲しい。
とか、この音はちょっとこうならへんか?」と。。。
そして、「この曲の時はそれに合ったライトの色が欲しい、
ああ、それそれ。」なんてライティングの事も言っていた。
そしてその中で三鈴さんが色々「こうしたら?ああしたら?」と
言っていたのである。
あのステージは夫婦で創ってるものなのだと知った瞬間であった。
その時、この二人は男と女の枠を超え本当のパートナーなんだなと
感じた。
これはお互いを尊重し受け入れていなければ出来ない事だ。
すごいと思った。

そしてその時、小曽根さんのピアノで1曲歌わさせて頂いたのだ。
そう横浜motion blueのステージで。。。
ファーストアプローチな訳だし、勿論小曽根さんが挑戦的になる
訳もなく、
私もそんな根性も技量もある訳もなく(笑)、
だからって手を抜く様な、又見下す小曽根さんではなく。
あの時の目は「しなぞう。何がやりたいん?
そうか、じゃあこうやな?」って伊藤君子さんと
共演してる時の目となんら変わりないのである。至福の時であった。
そして貴重な体験をさせてもらった。

200209bluenote1

200209bluenote2


そして2002年12月某所、小曽根さんは私のliveを
見に来てくれた。
歴史が動いた瞬間である。これも私が事前にお願いしていた。
来れたら来て下さい。と。
そんな事言える立場でもないし、そんな見せる技量じゃないけど、
そう欲求したのである。(笑)
当然緊張は自覚の度を遥かに越えたもので、
散々たるものだったのは言うまでもなく。。。。
でも、この経験が更に小曽根さんへの信頼を厚くするものに
なったのは言うまでもない。

次に、これを書いて良いのか分からないが、、、
忘れられない出来事がある。

ある時、私は自分のliveであるミュージシャンの伴奏に
とても傷ついた事があった。
勿論自分の非を認めた上でである。しかし、許せなかったのだ。
そのミュージシャンのやってる事が。
後々、私は恐怖感が生まれ、歌う事自体と何ヶ月も闘う事と
なるのだから。。。
出来るだけ客観的に、冷静に。。。
今思うとどこまでそう表現出来たかと思うのだが
小曽根さんに私はその状況を伝えた。
あの時期は小曽根さんがヨーロッパでオーケストラのコンサートの
真っ最中だったと思う。
時差を考えると、小曽根さんはほんと公演直前だったかもしれない。
しかし、小曽根さんは丁寧に私の言葉に耳を傾けてくれた、
しっかりと回答をくれたのである。
しかも私を批判や叱るではなく、そのミュージシャンに対して
ミュージシャンとしてプロとしてのあり方を説いたのである。
そんな時でも小曽根さんは私にこうあるべきだなんて事は
一つも言わない。
そして、プロは他言無用であるという厳しさを垣間見た
瞬間でもあった。どんな姿勢で音楽と向き合っているのか、
私は思い知らされたのだ。

私はその後で、小曽根さんに
「もしかしたら公演直前だったのではないか?」と尋ねた。
しかし小曽根さんは何も言わなかった。無償の愛である。
なんて男気のある人なんだ、なんて器の大きい人なんだ、
なんて人間性の素晴らしい人なのだ
と思ったのである。ほんと心から愛して止みません。

小曽根さんに接していて思う事は、自分はこんな事をしている、
なんて事は言わない、これだけの事をしてきた、なんて言わない。
多分、細心の注意を払ってるのではないか?
そう思う時がある。調子のいい奴、口先だけな奴、威張る奴、
多分小曽根さんは嫌いなんだと感じる。
なぜなら、小曽根さんからはそれが全く感じられないから。
だからこそ、自分に厳しい人間なんだと察する。
これはあくまで私が接した小曽根さんの印象である。

小曽根さんは、「世界を股にかけるピアニスト」である。
そう私がこんな風にコミュニケーションを取って頂くなんて、
とんでもない話なのである。
そしてこうして書いてる事自体、とんでもない話なのかもしれない。
でも私は小曽根さんの人間性が好きだ、
その人間性に触れれば触れるだけ、自分が成長する。
こんな人は初めてである。
2003年小曽根さんはアメリカの栄誉ある賞、
グラミー賞の「クラシック・クロスオーバー部門」で
鉄琴(ビブラフォン)奏者ゲイリー・バートン氏とのDuo作品
「VIRTUOSI」にてノミネートを受けた。
小曽根さんのいるべき位置とはそこなのだね~~~~ぇ。。。。
でも、小曽根さんはそれでも尚、私に対する気持ちも行動も
今までとなんら変わりがない。
だから、私は泣き言言わず頑張る事にしたのだ。
きっと、ここからがスタートなのかもしれない。

そして、小曽根さんのフォーラムで書いた事があるが、今も今でも思う。

「小曽根さんとの出会いは、奇跡に等しい。」と。
 
(上記の文章は、初掲載の為ご本人による内容確認の上、掲載致しております。) 2003.3

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