伊藤君子さんとの交流
伊藤君子さんの歌を聴いたのは、‘99年12月、小曽根さんとのDuoコンサートだった。
あれからすぐに‘96年のモントルージャズフェスのライブアルバムを買った。
私が偉そうに言うまでもなく、トップシンガーである。
その君子さんと直接交流したのは、2000年春、小曽根さんのHPの掲示板で
そのモントルーで歌っていた「Follow Me」という曲が素晴らしく、あの曲は譜面がないのか?
と書き込みをした所、「私ので良ければあげるわよ」とレスをして下さったのがきっかけだった。
そしてお言葉に甘え頂いた。まだ、この曲は世に出ていない。。。(苦笑)
それからしばらくして君子さんの田町にある「三田倶楽部」のライブに行った。
初めて顔を知って頂いたのはこの時である。
その時君子さんは小さな端切れのメモに電話番号を書いてくださり、「私で力になれる事があればTel しておいで」と言って下さったのである。
なんと気さくなお優しい方なのかと思った。
君子さんはいつも私を気にかけてくださっている。
それが、とてもよく分かる。
ある時、しばらく小曽根さんの掲示板に顔を出さないでいたら「元気なの?」って心配して
メールをくださった事がある。
そして、小曽根さんの掲示板で色々書けば、アドバイスをくれ勿論個人的に相談も受けてくれた。
それは、ボーカルとしての悩み、歌そのものの技術的な問題、現場での戸惑い、
そして、小曽根さんの事(笑)、ボーカル仲間の事と多岐に渡る。
君子さんは、私に本音を語ってくれる。
見栄を張るでもなく、感じた事、今ある自分の事も話をしてくれる。
私はそんな本音を聞かせて頂ける事に感謝をしている。
あの君子さんでさえ、そう感じるのか、というものもあれば、
そう考えているのかと勉強になるもしかり・・・・。
「ありのまま」であるという事が、
どれだけ赤裸々でリアルな説得力を持つか、実感する。
それが音楽に歌に現れるのだ、と痛感する。
そして、君子さんのそばには、いつもマネージャーさんがいる。
面白い距離感のお二人で、私はマネージャーさんからも、
小曽根さんとの裏話や、君子さんの日々の機微を聞かせて頂いている。
そんな中からシンガーとして君子さんが垣間見える。
それは今も何ら変わりのない関係である。
そして2003年2月某所での私のライブに、遂に見に来て下さったのだ。
そりゃー、君子さんだと分かったら、まともに歌える訳もなく(笑)。。。。
でも、私は君子さんの目を閉じてしっかり私の歌を聴いている姿が目に入った。
真摯に聴いて下さってる姿に、私は感謝と感動を覚えた。
そして、アドバイスを残していってくれたのだ。
師弟関係のない、ましてや利害関係のない私ごときに、小曽根さんにしても君子さんにしても時間と金とそして気にかけてくれるその気持ちの大きさに私は感謝しているという言葉では片つける事が出来ない。
私には、感じる。
君子さんは、「しなぞう。、私の所にいらっしゃい。ちゃんとレッスンを受けにいらっしゃい」と
そう言ってるのがよく分かる。
勿論、こんな風に言葉で言われた訳ではない。君子さんは自分に出来る事があれば、後輩にしてあげたい、その気持ちに尽きるという事は再三言っている。
上記の言葉は、先輩からの愛着を込めた(笑)、主観的、比ゆ的表現も加味している。
でも、本音は怖いのだ。そして、「伊藤君子」という名前の大きさに戸惑いを隠し切れないのである。
世の中なんてそんなもので、伝統芸能じゃあるまいし、誰についてレッスンしてるのか?師匠は誰なのか?そんな事で評価されてしまうのだ。私は、バカ正直かもしれない。
でも、そんなはっきり言ってしまうなら「売名行為」はしたくない。
そして、この不思議な関係も大好きである。私にとっては実質の師匠みたいなものである。
ある人が、君子さんを見た時、雰囲気がしなぞう。さんにそっくりだったと言われた。
(当たり前だが歌の話ではない。(苦笑))たぶん、私が似てきたのだろう。
ちょっとそう聞いたとき、嬉しかった。(笑)
しかし、私のこの不思議な関係は師弟関係より深く、意味がある。
だから私はこうして言葉にし、音楽の経歴を語る時にはずす事が出来なかった。
私には今、目指したい方向性がはっきりしている。
君子さんの様に聡明できれいな歳の重ね方をしたいと同姓として尊敬も深い。
尊敬する先を行く先輩がこんなに沢山いる。
だからその足跡を見ながら、君子さんとのこの素敵な交流をこれからも続けたいと願っている。
(上記の文章は、初掲載の為ご本人による内容確認の上、掲載致しております。) 2003.3
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