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回想録

兄との新年会

新年早々、長兄と食事をしました。

兄は立場上多忙ではありますが、定期的に最近は会うようにしています。

近況を話したり、他の家族のことなどなど。。。。

何が食べたい?と聞かれ、焼き肉をリクエストしたのですが、

普段仕事上で焼き肉接待など、「Docter X」であるまいに、、、(笑)

そうないわけで、兄はそのリクエストに自分で焼き肉屋を調べてくれました。

なんて優しいんでしょ。しかも私の住んでる地域で。。。

とても贅沢な焼き肉でした。

が、兄と話すことに集中して(笑)、とりあえず写真を撮ったものの、

何を食べたか、、、あはは

お店もタレを変え、トッピングを変え、、、色々アレンジしていました。

とても肉の脂がさっぱりしてて、美味しかったです。

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タン塩、中にネギが入ってまして、軽い炙りくらいで、頂きました。

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まだ、写真には見切れた、下の方に、タレがあります。(笑)

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サーロインのにぎり。(笑)キャビアのせ!!!

さっぱりしてましたよ。

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肉の中に、うにが入ってます。なんというアレンジ。アハハ

肉の色を見てもほぼ生。。。でも臭みなんて当然ないし、ほんとに軽く頂ける肉でした。

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コースとは別に、重くなく、でももうちょっと食べたいと言ったら薦めてくれた一品です。

締めも肉の肉三昧!!!

色んな話をしながら、家族、親戚の話もしましたが、

一番面白かったのが、正月に今一番お気に入りの番組を見たって話で、

テレビ東京の「池の水を抜いてみた」を見たんだ、面白かったって言ったら同じのを見てて、大ウケしたんだけど。

兄妹ってほんと似てるのね。笑った。笑った。

いくつになっても、そうやって何気ない話を出来るってことも、

兄妹って有り難いと思う。

長兄とはとても年齢差はあるけれど、気持ちの共有とか、共感とか、相手を思う深い愛情とか、、、再認識させられます。

今回は、珍しく2ショットを撮りました。

Dsc_0731

いつでも、いつまでも妹を思いやる、本当に父以上に父のようで、兄としては出来すぎる兄です。

兄が健在であることが、私の支えであるというくらい、兄が大好き。(笑)

プライベートは余り書かないのですが、特筆しておきたく、

兄が現在の職責についた時に着任したときに、書き留めたもの。

ご興味ある方は、是非、ご一読下さい。

兄がどれだけ、逆境に耐え、逃げず、向き合い、そして心を砕いてきたか、、、

そして、強く、優しく、とてつもない包容力と、リーダーシップか、、、

人として尊敬し、身近で感じれるということの幸せを強く感じます。

http://shinazo.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-7e4f.html

【家族】一つの節目

家族の事やプライベートの話は最近、ほとんどしないのですが、
それは、このネット社会、色々問題が多いので、避けてきました。

ただ、今日は、敢えて一つ書こうと思います。

我が兄、長兄がこの6月、一つの節目を迎えます。(私とは年が離れておりますよ、これも敢えて!言っておこう)ただ、社会的立場もありますので、詳細には書けませんので、文面が難しいですが、是非書きたいと思います。

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長兄は、私にとって兄というより父親以上に父親であり、最大の理解者であり、尊敬する、偉大な人格者であります。

その兄は、一企業を全うしました。それだけで凄い時代ですが、そこでトップにまでなりました。トップになることが凄いという事を書きたいのではなく、兄の性格からして、派閥などの争いは好まないし、上司に媚びるタイプでも、部下に偉ぶるでもない性格で、トップでいたという事です。

兄は、私が子供の頃、父が急死しして、当時、既に東京へ就職していましたが、幼い妹と母を心配して、東京へ呼び寄せたんです。まだ就職して数年。しかも、父が他界して、一週間後には子供が産まれる予定、、、という状況でした。

兄は大家族の長兄として、生まれながらのリーダーの才覚を本当に持っています。それだけに、頼られる事に1度として嫌な顔をした事がなく、むしろ歓びに出来る稀有な資質を持っています。

だから、兄は家族のためにする事は「当たり前」のように受け止めていたんだと思うけど、そう出来ることではありません。

そして、当時、東京と北海道を往復しながら準備をして、当時、よく上司が長期の休暇を許可し、家族のことをさせてくれたな、、、と、私は、今もこの企業さんに感謝をしています。で、なければ私は存在しないんですから。

この長兄とは、私は他の兄弟より深い縁を持っていると思います。
今思うと、私の人生の節目には必ず、関わってくれましたね。わが子のように。

随分前でしたが、銀座で歌っていたお店に来たお客様に兄と同じ会社の方がいました、そして、話をしてると転勤した先にも居た事があるとの事だったので、
「あの、会社に品田○○っていませんか?兄です。」と聞いたんです。
そうしたら、「ええええ、品田の妹??」という事がありました。当時、会社の先輩に当たるんでしょうね。

翌日、すぐに兄にメールして、「昨日、○○さんに会いました。」と。そうしたら兄から「お前、粗相は無かっただろうな??」と背筋凍るメールが飛んできました。アハハ。
私は「いえ、決して。。。。。ただ、チケット頂きました。」と当時はまだゆるい、いい時代でしたから、タクシーチケットもね、、、ま、時効ということで。
その一言で、兄が対人関係においての姿勢を感じました。

そして、私がバイトというか、月に数回テータ入力の派遣の仕事で兄の企業に行ったことがあるんです。それもなんという偶然か、と思ったのですが。
当時は、兄は本社だったので、私は支店だったので会わないな、、、と思ってたら暫くして、兄がその支店の支店長でやってきて、あの時は驚きました。兄も敢えて言ってこないし、、、、当時も今もそうですが、何かないと連絡しないので、久しぶりの再会状態でした。

しかし、母のこともありましたし、疎遠になりがちな私を神が父が導いた『奇跡』だったと思ってますし、その偶然を感謝しています。それでも、兄は怒るでも嫌味一つなく、「元気か?」と相手の心配をしてくれます。包容力というか、情愛の深い人であります。

この事がきっかけで私も母の最後に関われましたし、兄には感謝でしかありません。

本当は、母の葬式も、会社を通すべき事だったと思うのですが、そうするとご母堂様、ご逝去となって大事(おおごと)になりますが、身内で済ませました。経済的、社会的な面倒もあったと思いますが、多分、兄は母を静かに息子で見送りたかったのでは、と私は推測しております。見栄のない、シンプルな人です。

母の長兄への愛情は、他の兄弟がひがむほど、それはそれは。私は、そういうとこは無頓着なので、気づかなかったんですが。(笑)
私は、それ以上に兄弟から、本当に年も離れていた分、可愛がってもらった、という実感がありますので、親からの分散する愛情に、余り気にしてなかったような気がします。気難しい成長期に父が他界したので、少し他の人とは感覚が違うかと思います。

兄は、本当に夜の時間も多忙で、あるとき約束しようと思ったら2ヶ月先のこの日しか空いてない、と言われたことがあります。アハハ。
でも、その時、私が途中で歌の仕事が入って、レストランだったので、早めに終わるから、その後食事しようとなりました。

その時、初めて、今やってる歌を兄は聴いたかと思います。
終わって兄の席に行くと、兄は泣いていました。少し、テクニック的な事を言いながら、あれが敢えてその感じがいいね、、、と言いながら「がんばれよ」と言ってくれて、、、私は泣きそうになりました。

私は、商社などOL経験もあります。それを捨てて、音楽をやるという事が家族への不安を持たせた事への負い目をずっと持っていただけに、必要ないときは連絡しなかったのです。それを兄は分かっていました。
だから、兄のその涙と言葉は、私の心の荷を降ろすきっかけになりました。

少し、私の知る限りの中で書くと、兄は30歳そこそこで組合長になりました。メーカーで言うとこの組合は組織として大きく、その組合長を10年余りしていました。むしろ、企業の仕事に戻れるのか?と心配したほどです。そして、転勤を数回経験し、管理職として、奮闘してきたわけです。

私が兄の企業に関わっていた時、部下の方が言った言葉がとても印象的でした。

『品田さんは、ブレない人です。』

。。。。。そうだ、兄はいつだってブレない。悩んでいてもそれを下の者には見せない。いつだって、自分の中で耐え忍ぶ人だ。

だから、兄弟は、兄のする事に反対をした事がない。口うるさい者が居ないわけではないですが、兄は皆の意見を聞きながら最後の決定し、実行し、責任を取る。

それが、家族から、企業という規模に変わっても、変わらないし、権力があろうともそこでもブレない、それは、凄いことだと思う。
家族が出来れば、兄弟、親戚への距離感が変わるものだが、兄は変わらない。義姉もそこは兄に従うんだと思いますけど、それだけ家族への愛情があるから義姉も理解してるんだと思う。それも、私は感謝している。

私の長兄への愛情は、表現できないほど大きい。(笑)

どんな時も対応が変わらず、いつも心配してくれる。『何かあったら連絡しろよ、遠慮するなよ。』と言ってくれる。兄弟の中には、『下の者が、連絡してくるのは筋でしょ』くらいな事を言う人はいるんですよ。意識が自分にあるか、人にあるかで、180度言葉が違います。

時々、思うのは、兄はこの年離れた妹を、小さい時に親が亡くなって、自分が東京に呼び寄せて良かったのか、、、「不憫」に思っているんじゃないか?と思う。だから、自分が出来ることはしてあげようと押し付けではなく、見守り、支えようと思ってるんだと、、、それは、この年齢になっても変わらないんだと思う時がある。

私は、お世話になったこの企業の定年を機に、一つ荷を降ろして欲しいと思うし、次に更なる重責が待ち構えているんですが、兄が持つリーダーとしての才覚を天職ですから、全うして欲しいと、社会でその才能を発揮して欲しいと思う。

尊敬する偉大な兄へ、感謝と愛を込めて。

悼む人

今日は、母の命日。

2年が経ちました。

去年、別のことで以前にお世話になった霊能者の方に霊視してもらった時、

「母のことが視えない」と言われた。

認知症もあったし、母の最後も生気が無かったくらいでした。

だからだろうな、、、と思われます。

こういう時に視えるのは、「念」とか「感情、情念」というものだと

私は解釈しています。

母は、兄弟の中でも絶大な愛情を長兄に持っていました。

それもあるかもしれません。

両親の人生を時々思います。

「幸せでしたか?」って。

そして、「今、あの世で会ってますか?」って。

特別両親が仲が良かったのか?分かりませんが(あはは)

今生で夫婦を全うしたのだから、子供として悼んでおります。

先日、2年前に遺品としてもらった写真の中からいくつかピックアップして、

母の若かりし日の写真、家族との写真、教員だった時の生徒との写真、

琴を弾いてる写真。

そして、父と旅行先での写真、新婚当初の写真、

父の若かりし日の写真、父が宴会で踊ってる写真(笑)。

そういう私の知らない昔の写真を整理ついでに額に入れてみた。

ここに掲載しようと写真を撮ってみたのですが、

昨今の個人情報の開示もどこまでがいいものか・・・・

辞めました。(笑)

思い出は、自分の心の中にあれば、、、いいんだって。

そして、義理の兄弟も含め、お世話になった、お世話頂いたことを

改めて感謝をして、静かに亡き者を悼みたいと思います。

あの世へ行っても、色々やることがあると聞きます。(笑)

だから、

「あの世で、頑張ってますか?」

「私も、頑張っています。でも、念を送ったら、感じてください」と。

私の父の日

今日は父の日ですね。

世のお父様はいかがお過ごしだったのでしょうか?(笑)

私の父は他界をした為、すっか関係ないという気持ちですが、

今年、よく父の事を考えます。

父も教師でした。父の思い出は、今となっては都合良く(笑)いい思い出しかありませんが、厳しい人でした。昔の人なので、結構理不尽なことも多かったと記憶してますが。(笑)

ただ、教員だったせいか、勉強においては違った側面を印象として残っています。

私は当時公文式を習っていて、100点取れるまで帰らせてもらえず、ある時一人居残りで数学をやった事がありました。

帰宅が遅くなって、私は遅くなったな、、、疲れたな、、、とドヨ~~~ンとして夜道、帰路に立ったのですが、父が帰って来ない私を心配して帰宅ルートに出てきてて、私は叱られるな、、、と恐怖だったのですが、でも私の生気のなさに、怒りもせず家に帰ったことがありました。

父は、姉と一緒に勉強を教えてくれた事もありました。国語の教員だったので、当時五段活用とか古典とか、そんな辺りだったと思います。

でも、、、

私、途中でソファで爆睡。(笑)気がついたら、姉との勉強が終わってました。アハハ。でも父はそれを咎めるという事はありませんでした。今思うと、もっと父から学んでおけば良かったと思います。

今だから時効でしょうか(笑)、父の生徒の答案用紙のお手伝いってのもした事があります。アハハ。いい時代、田舎ですね。

「お父さん!この人点数いいよー!」

「おお、そいつは出来るんだ」

なんて会話もありました。アハハ。

そして、ある時父は私に「これ、生徒が書いたんだ」と言って、父の似顔絵を工作の厚紙みたいな用紙に顔だけ書いて切り抜いたものを持って来ました。

・・・そっくり。(爆笑)

で、口元を迷ったのでしょう、鉛筆の書き直しの筆圧が残っていて、結局、チューって唇をとがらせた「3」みたいな形になってました。

私は今もそれを持っていて部屋に飾っています。

どんな思いでその生徒は父を書いたのかな?とか、父はどんな教員だったのかな?とか、、、色んな事を想像します。

書かれるなんて、嫌われてたら無いんじゃないか?とか思ったり。

きっと、時折見せる父の教師として生徒を思う目線は暖かいものだったのではないか?と勝手にいい想像へと変わっている。

父の事、知らない事が沢山ありますね。

私にとって、父の日はいつもの一日と変わらず、さりげなく過ぎていく。

でも、今年はちょっと父の事を書いてみました。

ひなまつりの思い出

今日はひな祭りですね。

私が独立しても、実家では雛人形を飾っていました。

年に一度は風通しをしなくては人形が痛むのですが、

いい加減母も面倒になり、

「今年は出すのをやめようと思うの」と言った年があった。

そうしたら、姉が、

「ダメよ、嫁に行き遅れるって言うじゃない、妹もいるし。」

と言った。

でも、

母も私も、

(まだ、行く気なんかい)

(また、行くんかい)

と言ったか、言わずか。(笑)

けっけっけ。

・・・・

しかし、親は家族に紆余曲折色々あるせいか(笑)、

早い段階から「結婚だけが、人生じゃないっ」と言い始めていた。

好きな事して生きてる私を見ての言葉だったのかもしれませんが、

面白いもんです。

・・・・

でもこの雛人形は、

兄が可愛い可愛い(笑)、年の離れた妹を思って、

成人してすぐに買ってくれたものなんです。

当時大学生だったと思います。偉い兄ですよ。

それっくらい、愛情豊かな我が家ではあるんですけどね。

はて、、、雛人形は、、、、

どうしてるだろうか。

東京は、雪のひな祭り。

思い出の一曲

最近ふと耳にした曲で、

「もうひとつの土曜日」浜田省吾がかかって、

思わず、昔の思い出が蘇り、トリップしてしまいました。

http://jp.youtube.com/watch?v=XRt54MlAMR8&feature=related

20代前半、高校の同級生とよくカラオケしてまして、

その同級生と実は同級生のお兄さんとお兄さんの同級生と

よく4人でカラオケしてました。

そう、よく遊んでいました。

そして、このお兄さんがこの浜田省吾をよく歌っていたの。(笑)

それも、よく似てたの歌声が。

歌ってるお兄さんの横顔を見ながら、なんかそんな恋愛してんのかな~?とか思いながらね、面白かったんだよね。

そのお兄さん、デザインの仕事してて、某歌手のアルバムのジャケットで毛筆での文字が欲しいって書いた事ありました。でも、結局私の欲の出た文字より、スタッフが書いた字が収まりよく(笑)、ボツになりました。

あぁ、そんな事も思い出したわっ。

この頃の歌詞って、小田和正さんの曲もそうだけど、

シンプルで、なんか切なさがあって曲も聴き心地良くてね、、、

あの頃沢山感じてた「思い」みたいなものを彷彿させて、

懐かしくもあり、恥ずかしくもあり、ですね。

なんか、時々思い出す事をこれから回想録として、

書いてみようかと思っています。

と、去年から考えていたのですが、でも赤裸々なのもいかがとも思うので、家族の事とか書きたいけど、変な迷惑がかかるのも問題あるのでね、、、言葉や内容を選んでしまいますが、、、

気がむいたら、、、ね。

フォト

Schedule

  • ★2019年9月スケジュール★
    ●9月6日(金)浅草「舵輪」pf)外山安樹子bs)関口宗之●9月27日(金)錦糸町「東武ホテルレバント東京」
  • ★2019年8月スケジュール★
    ●8月23日(金)錦糸町「東武ホテルレバント東京」
2019年10月
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