母の誕生日
先日、母の誕生日を迎え、兄にメールした。
私は母の命日より誕生日の方が、深い記憶として残っています。
兄も、勿論覚えていて、教会でお祈りしてきた。と。
兄だけは、兄弟の中でも敬虔なクリスチャンと言えます。
ほんとに頭が下がります。
何度も書いていることですが、
兄は、きっと母を思い、兄弟を思い、健康と平和を願い、
祈りを捧げてるということが、容易に想像できます。
兄は、どこまでも謙虚な人だ。
決して、過去の功績も語らず、偉ぶらず、、、
何をしてもまず、相手の気持ちを計り、言葉をかけます。
どれだけの言葉を飲み込み、押し殺してきたんだろうと思う時がある。
そして、祈るという行為は、きっと気持ちの整理や心を見つめる時間、
静寂な時間を持つことで、心が整っているんだろうな、と感じたりします。
祈る、ことで幸せになるなら、こんな簡単なことはない、と何度も思いましたが、
この祈るという行為は、日本人的な表現で言えば「念じる」ことで、
やはり念じていれば、道は拓いていくわけで、、、
相手を思い祈ることは、実に尊いと、今はしっかりと感じています。
かつて、生前に母が「あなたのことを祈ってきたよ」と言われ、
大変な渦中の私には、全く耳に、心に響かなかったことが、
後悔として、何度も思い出されます。
だから、兄に祈ってきたよ、と言われると、母のことを思い出し、
兄に深く感謝するわけです。
本当に兄の精神性の高さに、尊敬し愛して止まない存在です。
母の誕生日に、改めて兄のことを思った日でありました。
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