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【家族】一つの節目

家族の事やプライベートの話は最近、ほとんどしないのですが、
それは、このネット社会、色々問題が多いので、避けてきました。

ただ、今日は、敢えて一つ書こうと思います。

我が兄、長兄がこの6月、一つの節目を迎えます。(私とは年が離れておりますよ、これも敢えて!言っておこう)ただ、社会的立場もありますので、詳細には書けませんので、文面が難しいですが、是非書きたいと思います。

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長兄は、私にとって兄というより父親以上に父親であり、最大の理解者であり、尊敬する、偉大な人格者であります。

その兄は、一企業を全うしました。それだけで凄い時代ですが、そこでトップにまでなりました。トップになることが凄いという事を書きたいのではなく、兄の性格からして、派閥などの争いは好まないし、上司に媚びるタイプでも、部下に偉ぶるでもない性格で、トップでいたという事です。

兄は、私が子供の頃、父が急死しして、当時、既に東京へ就職していましたが、幼い妹と母を心配して、東京へ呼び寄せたんです。まだ就職して数年。しかも、父が他界して、一週間後には子供が産まれる予定、、、という状況でした。

兄は大家族の長兄として、生まれながらのリーダーの才覚を本当に持っています。それだけに、頼られる事に1度として嫌な顔をした事がなく、むしろ歓びに出来る稀有な資質を持っています。

だから、兄は家族のためにする事は「当たり前」のように受け止めていたんだと思うけど、そう出来ることではありません。

そして、当時、東京と北海道を往復しながら準備をして、当時、よく上司が長期の休暇を許可し、家族のことをさせてくれたな、、、と、私は、今もこの企業さんに感謝をしています。で、なければ私は存在しないんですから。

この長兄とは、私は他の兄弟より深い縁を持っていると思います。
今思うと、私の人生の節目には必ず、関わってくれましたね。わが子のように。

随分前でしたが、銀座で歌っていたお店に来たお客様に兄と同じ会社の方がいました、そして、話をしてると転勤した先にも居た事があるとの事だったので、
「あの、会社に品田○○っていませんか?兄です。」と聞いたんです。
そうしたら、「ええええ、品田の妹??」という事がありました。当時、会社の先輩に当たるんでしょうね。

翌日、すぐに兄にメールして、「昨日、○○さんに会いました。」と。そうしたら兄から「お前、粗相は無かっただろうな??」と背筋凍るメールが飛んできました。アハハ。
私は「いえ、決して。。。。。ただ、チケット頂きました。」と当時はまだゆるい、いい時代でしたから、タクシーチケットもね、、、ま、時効ということで。
その一言で、兄が対人関係においての姿勢を感じました。

そして、私がバイトというか、月に数回テータ入力の派遣の仕事で兄の企業に行ったことがあるんです。それもなんという偶然か、と思ったのですが。
当時は、兄は本社だったので、私は支店だったので会わないな、、、と思ってたら暫くして、兄がその支店の支店長でやってきて、あの時は驚きました。兄も敢えて言ってこないし、、、、当時も今もそうですが、何かないと連絡しないので、久しぶりの再会状態でした。

しかし、母のこともありましたし、疎遠になりがちな私を神が父が導いた『奇跡』だったと思ってますし、その偶然を感謝しています。それでも、兄は怒るでも嫌味一つなく、「元気か?」と相手の心配をしてくれます。包容力というか、情愛の深い人であります。

この事がきっかけで私も母の最後に関われましたし、兄には感謝でしかありません。

本当は、母の葬式も、会社を通すべき事だったと思うのですが、そうするとご母堂様、ご逝去となって大事(おおごと)になりますが、身内で済ませました。経済的、社会的な面倒もあったと思いますが、多分、兄は母を静かに息子で見送りたかったのでは、と私は推測しております。見栄のない、シンプルな人です。

母の長兄への愛情は、他の兄弟がひがむほど、それはそれは。私は、そういうとこは無頓着なので、気づかなかったんですが。(笑)
私は、それ以上に兄弟から、本当に年も離れていた分、可愛がってもらった、という実感がありますので、親からの分散する愛情に、余り気にしてなかったような気がします。気難しい成長期に父が他界したので、少し他の人とは感覚が違うかと思います。

兄は、本当に夜の時間も多忙で、あるとき約束しようと思ったら2ヶ月先のこの日しか空いてない、と言われたことがあります。アハハ。
でも、その時、私が途中で歌の仕事が入って、レストランだったので、早めに終わるから、その後食事しようとなりました。

その時、初めて、今やってる歌を兄は聴いたかと思います。
終わって兄の席に行くと、兄は泣いていました。少し、テクニック的な事を言いながら、あれが敢えてその感じがいいね、、、と言いながら「がんばれよ」と言ってくれて、、、私は泣きそうになりました。

私は、商社などOL経験もあります。それを捨てて、音楽をやるという事が家族への不安を持たせた事への負い目をずっと持っていただけに、必要ないときは連絡しなかったのです。それを兄は分かっていました。
だから、兄のその涙と言葉は、私の心の荷を降ろすきっかけになりました。

少し、私の知る限りの中で書くと、兄は30歳そこそこで組合長になりました。メーカーで言うとこの組合は組織として大きく、その組合長を10年余りしていました。むしろ、企業の仕事に戻れるのか?と心配したほどです。そして、転勤を数回経験し、管理職として、奮闘してきたわけです。

私が兄の企業に関わっていた時、部下の方が言った言葉がとても印象的でした。

『品田さんは、ブレない人です。』

。。。。。そうだ、兄はいつだってブレない。悩んでいてもそれを下の者には見せない。いつだって、自分の中で耐え忍ぶ人だ。

だから、兄弟は、兄のする事に反対をした事がない。口うるさい者が居ないわけではないですが、兄は皆の意見を聞きながら最後の決定し、実行し、責任を取る。

それが、家族から、企業という規模に変わっても、変わらないし、権力があろうともそこでもブレない、それは、凄いことだと思う。
家族が出来れば、兄弟、親戚への距離感が変わるものだが、兄は変わらない。義姉もそこは兄に従うんだと思いますけど、それだけ家族への愛情があるから義姉も理解してるんだと思う。それも、私は感謝している。

私の長兄への愛情は、表現できないほど大きい。(笑)

どんな時も対応が変わらず、いつも心配してくれる。『何かあったら連絡しろよ、遠慮するなよ。』と言ってくれる。兄弟の中には、『下の者が、連絡してくるのは筋でしょ』くらいな事を言う人はいるんですよ。意識が自分にあるか、人にあるかで、180度言葉が違います。

時々、思うのは、兄はこの年離れた妹を、小さい時に親が亡くなって、自分が東京に呼び寄せて良かったのか、、、「不憫」に思っているんじゃないか?と思う。だから、自分が出来ることはしてあげようと押し付けではなく、見守り、支えようと思ってるんだと、、、それは、この年齢になっても変わらないんだと思う時がある。

私は、お世話になったこの企業の定年を機に、一つ荷を降ろして欲しいと思うし、次に更なる重責が待ち構えているんですが、兄が持つリーダーとしての才覚を天職ですから、全うして欲しいと、社会でその才能を発揮して欲しいと思う。

尊敬する偉大な兄へ、感謝と愛を込めて。

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コメント

Nakajimaさん、またコメントを公開するの、遅くなり本当にすみません。
コメント、ありがとうございます。

身内で手前味噌に聞こえてしまいますが、
人として素晴らしい人が身近にいる、出会いがある、って幸せな事ですね。

物理的な恩恵も、でも、私なんて物理的に出来ない事が多く、必要な時もありますね。(笑)
親に対してとか、親友とか、師匠に対してとか、、、痛切に思ったりします。

投稿: shinazo | 2016年7月23日 (土) 18時17分

何度も読みました、響きました、

人を愛し愛され、感謝し感謝され、何と心地の良い言葉かと思います。

物理的な恩恵を伴う「愛」「感謝」には少しばかり
不協和音を感じますが、心からの行為には限りなく
感動し、心が洗われてしまいます。
物理的な恩恵を否定する訳ではありませんが、

読み終わって、心地よい素敵な音楽に聞きほれていた時と同じような気分、
現代社会の中ではいつも清々しいこのような気分になれる事は難しい環境かと思います、しかしながらいつかのタイミングで自身を回想して感謝、尊敬の念を抱く事は人として大切なことかも知れません。


投稿: Yoshio Nakajima | 2016年7月 1日 (金) 23時27分

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