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【今日の一冊】「今日の風、なに色?」/「芸」は、○○食う虫?

今春、盲目のピアニスト辻井伸行さんがコンクールで優勝して、かなりのセンセーショナルでありましたが、やっと母親著書を図書館から借りれました。

2000年の初本です。続はまだ回ってきません。(笑)

半年待ちで読めるのだから、早いほうですね。

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内容は、母親の日記をベースにしてあり、育児の奮闘と特質する、音楽に突起する才能の成長への挑戦が書かれています。

生後2~3ヶ月で、音への異常な反応、好奇心、反面生活音や環境の変化への拒否反応。1歳での絶対音感の発揮。2歳で耳コピー。

全く持って、生まれ持ったもの、というしかありません。

興味深かったです。

3~4歳頃を教えていた先生の言葉がありました。

『教え始めて3ヶ月過ぎたころ、「レッスンが嫌だ」と言い始めたのです。たぶん、レッスンがつまらな過ぎたんだと思います。一生懸命に指使いや基礎をやっている時でした。

(中略)

その頃から私はピアノの先生という意識を捨てました。それよりもこの才能を上手に引き出しながら次の上のクラスの先生に引き渡すのが私の役割だと思う様になったのです。

私がこの才能を潰すわけにはいきませんから、音楽を表現する力を、つまらない基礎練習で枯らしてはいけないでしょう。』

この様に、たとえ秀でた才能でなくとも、教える側の人間は、目の前の才能と向き合うとは、そういうことなのでは?と思わせる言葉だった。

ピアノのレッスンで間違えると手を叩かれるのが嫌だったと言った私の姉や、やはりピアノレッスンが嫌だったという世界のピアニスト小曽根真さんもいます。

全般に言えることかもしれません。

私も色んなレッスンを受けながら、未だに自分に合うレッスンが何か?と問う事があります。自分なりのカリキュラムを組もうとも、やはり人のレベルの高い目で「正しい基礎」を見てもらう必要はあります。

また、著書は音楽家ではありませんが、いい着眼点だな、と思った言葉があります。

『伸行には音楽に対する価値基準がありました。伸行はある曲に出会った時に「難しい」という言葉を一度も使ったことがありません。むしと「きれいな曲」と言って、それを耳で聴いてすぐに鍵盤で弾きこなそうとするのです。彼にとって、音楽の基準となるのは「きれいか否か」ということであり、「難しい」という概念がどうも希薄なようです。(中略)先入観がまったくないのです。』

なるほどな。と感心しました。

私たちは、ついつい聴いた瞬間の感覚があり、「難しい」とか何か解釈をしようとする作業が返って自分を縛る結果になったり。。。。

聴こえた音が全てである。

そんな事を言ってるような気がした。

もっと、自分の耳を信じてあげよう、、、と、ちょっと思った。

結局、自分の耳を信じない事は致命的であり、余計自信を失ってしまう。

それは、意味がない事だ。

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伸行くんは、晴眼者(せいがんしゃ)ではないが、しかし健常者だってそこまでの環境には恵まれない。

1歳半からピアノの先生にレッスンを受け、6歳の頃にはピアノの先生が3人目ってんだから、、、びっくりです。

そして、より一流の教育を求めていくわけですが、そこまでしなければ、世界で認められる音楽家にはなれないのか、、、と、感じる箇所がある。

一流になる若年層のアスリート、芸術家は、勿論、親・兄弟の理解と協力なくして有り得ない。本当にそう思う。

それにしても、、、、とため息が出た。(笑)

私も日々つくづく思うのです。

芸は、金食う虫、時食う虫。

モノになるまで時間もかかるし、勉強する時間と金が要る。

それだけの自己投資が必要である、と。

また一つ、ため息が出る。(苦笑)

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